〔生の終焉を考察するコトバッ〕

死について考える言葉。

千の風になって

千の風になって、
あの大きな空を吹きわたっています。
秋には光になって、畑にふりそそぐ。
冬はダイヤのように、きらめく雪になる。
朝は鳥になって、あなたを目覚めさせる。
夜は星になって、あなたを見守る。
私のお墓の前で泣かないでください。
そこに私はいません、死んでなんかいません。
---
千の風になってについては
その原詩を巡って諸説飛び交っているが、
その辺りの事情はともかく、
「死」と向き合う契機を
世に提供してくれたことは意義深いと思う。

米国を中心に広まった"death education"なるもの。
「死の準備教育」と訳されるが、
日本ではさほど浸透しているとは言えない。

いつかは必ず訪れる死と
正しく向き合うことで、
「悲しむべきときに悲しむこと」、
「人間らしく死ぬこと」、
そもそも「死とは何か」、
翻って、生の意味について問い直す作業など、
多くを学び取る機会を与えてくれる。

千の風になってについては、
旋律や歌い手の影響もあるだろうが、
やはり詩が大きく物を言っていると思う。

詩の主人公が「死者」であり、
しかも、その内容についても、
死ぬことを終わりとするのではなく、
命は死を経ても終わらないという、
あたかも禅問答のように
死が死でないことを綴り、
多くを考えさせてくれるものとなっている。

期せずしてブームを呼び、
広く知れ渡ることになったこの詩そのものが
「千の風」になって吹き渡る姿は
爽快そのものである。

やがて光源のない澄んだ乱反射の表で…‥

「人間が死ななければならないという事実は、
 一体、何なのだろう。
 どう考えたって、
 まともな説明なんかつくはずがないんだ。
 だったら、何か失笑するしかないような馬鹿らしい理由で、
 その無意味を埋めてみせるしかないじゃないか」
---
PR 平野 | FX | 消費者金融 ブラック
1/1